ハルモボジのちえぶくろ
在日一世のおばあちゃん(ハルモニ)おじいちゃん(ハラボジ)ならではの知恵ぶくろ。 いえいえ、役に立つ知恵だけでなく、すごくマイナーなことでも、在日一世ならではのような、くせやしぐさ、思い出を集めてみたらきっと面白いはず♪
というわけで、みなさんのエピソードを聞かせてください。
一世に限らず、二世や三世(いるかな?)のおばあちゃんおじいちゃんの話も大歓迎です。それに、よそのおばあちゃんおじいちゃんのことでもOK☆
(投稿はこちら)
読んでいたら、「あ~うちのおばあちゃんもこんなんしてたなぁ」「あそこん家のハラボジと雰囲気似てるなぁ」というのが見つかるかもしれません。
そして、在日のおばあちゃんおじいちゃんというのを見たことがない人にとっても、「ふーんそんな感じなんだぁ」と楽しく読んでもらえるページに出来たらいいなと思っています。
★在日のおばあちゃんおじいちゃんが話す日本語は、少しなまり(くせ)があるときがあって、それを聞くととても懐かしくなります。
うちのおばあちゃんは慶尚南道からだったけど、
済州島とか慶尚南道とかの出身地によって、日本語のくせが少し違う部分もあるような気もするけど、「全部」が「じぇんぶ」になったりするのは在日の一世共通なんじゃないかなーと思います。
偶然耳に入ってくると思わずそっちを振り返ってしまうような、なつかしい感じ。
ところで、私は今年アメリカのロサンゼルスに住んでいます。
ロサンゼルスのコリアタウンは、韓国食の食堂・レストラン、韓国からの食品、生活用品、それから韓国語のメディアなどなど、"Korean"なものでいっぱいです。
そしてこないだ、私の家の一番近くの韓国系のスーパーを歩いていたら、これがありました。
おもわず一人でふき出しました。
この商品は韓国(人)の商品やけど、友だちのKorean American のオンニたちに話しても、このおもしろさはちょっと伝えにくいかもと思って、私ひとりで抱えていました。
ハルモボジの話じゃないけど、「知恵袋」に投稿します!
* ちなみに、コリアタウンの韓国系スーパーは日本人の客も普通にいるやけど、この場合、パッケージの日本語はたぶん、韓国人向けに"日本的な食品だよ"っていうアピールかと。"日本的なラーメン"といえば「札幌ラーメン」。
(LAのちょんさんより)
★「あんたは橋の下から拾ってきたのよ」とか言って子どもをおちょくる親はけっこういると思いますが、うちのハンメのはちょっと手が込んでました。
ハンメが我が子たちにしてた話です。
「むかしオモニは病院で看護婦さんをしとってな、ある日そこに一人の妊婦さんが担ぎ込まれてきたんや。
せやけど難産でな、赤ちゃんは産まれたんやけど、結局その妊婦さんは亡くなってしもた。しかもその妊婦さんには旦那さんもおらへんかったんや。
オモニは生まれてきた赤ん坊がかわいそうでかわいそうで…引き取ることにしたんや。
その時の赤ちゃんが、あんたやで。」
うちの母親は小さい頃この話をされて、(半信半疑ながらも…)自分はものすごい運命の下に産まれてしまったのかもしれないとドキドキしたそうです。
でもフタを開けてみると、5人姉弟みんなそれぞれこの話をされてて、同じようにこっそりドキドキしてたんだそうです。
★そんなうちのハンメも、潔癖症なくらいキレイ好きでした。
ある日いとこが汚れのめちゃめちゃよくとれる化学雑巾をプレゼントしたら、えらく気に入って、その雑巾であらゆる場所を拭きまくっていました。
そんなハンメも3年ほど前に亡くなったんですが、お葬式のとき親戚の誰かが、そのお気に入りの化学雑巾の新品を棺桶に入れてあげたそうなんです。
それを知った親戚たち、
「ハンメのことやから、あの世への道も掃除しながら歩いてるかもしれんなあ」
「色んな人が通りそうやもんな(笑)『あぁーもう、ここんトコの汚れが!』とか言いながら、片っ端から拭いてそうやな」
「そしたらあの世に着くのがちょーっと遅くなるかも知らんなあー!」
「どないするー!?四十九日のときまだ着いてなかったり、お盆にもこっち還って来んかったりしたら!」
一同大爆笑でした。
でも、道をそれだけキレイにして行ったら、ちょっとぐらい遅刻しても、えんま様が天国に行かせてくれてると思う…。
(神戸・ゆささんの母方のハンメ)
よんりなさんはお母さんが韓国から来たいわゆる「ニューカマー」。今回は韓国・慶尚北道に住んでいる母方のお祖父さん、お祖母さんのエピソードです。
私のオモニは日本人の父と結婚するために、85年に日本にやってきました。
オモニは5人兄弟で、3人は日本に出稼ぎに来ていました。2000年にはみんな帰ってしまったけれど…。
なので、私の母方の親族たちは、現在は韓国に住んでいます。
ウェハルモニ(母方の祖母)は、咸鏡北道にうまれて、アボジの仕事で満州に移住しました。
解放を迎えて、朝鮮戦争の前に慶尚北道へ。
漢詩ばっか読んで働かないアボジをもつ、働き者のウェハラボジ(母方の祖父)と結婚したそうです。
そのウェハルモニは、
◆連れ立つ人がいないと、家から半径1キロメートル以上移動しない(らしい)。 (性格はアグレッシブなのに、まったく移動しない。)
◆甘い物大好き。イチゴにもガンガン砂糖をのせる。
◆掃除魔。ほっとくとずっと、お片付け、掃除をし続ける。家事で1日が終わっている。
でも、お昼ごはんを食べたら、必ずお昼寝。
髪の毛一本、見落とさない。時々、掃除しすぎて娘・息子に怒られている。
◆75歳になっても、孫に会うためだけに厚化粧。
◆故郷が慶尚道の在日3世・4世の同世代の子たちが、祖母のことを「ハンメ」と呼ぶのに、うちの家は「ハルモニ」と言うのはなんでだろう。と思っていたら、今回会ったときによーくリスニングしてみたら、自分のことを「ハンメ」と時々呼んでいた。 (ん?でも、咸鏡北道出身?)
ウェハラボジ
1970年代前半くらいまで?職業軍人だったウェハラボジ。
とっても、涙もろい人。
◆90年代前半のあるとき、大韓民国の教保文庫(という本屋さん)でショッピング中、北からの攻撃を想定した避難訓練のサイレンが。
日本から来た8歳の孫の「北ってどこ?」っていう質問に、
「分かれて、戦争したけれど一つの国だったんだよ。」とだけ答えたハラボジ。
◆正月にパンソリがTVで流れると、哀しい歌だったのか懐かしい歌だったのか号泣。
「昔のことを、思い出すんですよ。」
どんな記憶だろう。
ウェハラボジも軍人時代にあっちこっち行かれたかもしれませんが。
(よんりなさんのウェハルモニ・ウェハラボジ)
★知り合いに聞いた
在日のおばあちゃん・おじいちゃんのデイサービスでの話です。
そこのデイではよく80歳、90歳前後のハルモニたちが昼間一緒に過ごします。
もう心身ともにかなり高齢のハルモニたち。スタッフの送り迎えでなんとか来ることができます。
集まったら、よくする遊びは麻雀。
ハルモニ4人が台をかこみ、スタッフがつきそいます。
あるせっかち(?)なハルモニは、自分の番が来て、牌をとって見たら、もうすぐ次の牌をとりたいのです。他のハルモニたちがゆっくりするのを待ってられへん!とばかりに、自分の牌だけでなく、隣の人に、向いの人に、と勝手にひとめぐり、全員に牌を配ります。「ハイあんた、これ」「ハイ」「ハイ」と、各人の前にぱっぱ配ってしまいます。そして、もう自分の次の牌をとっちゃいます。
「え~?」と、なんとか対応する他のハルモニたち。
しかし、繰り返し、また配る、早すぎる例のハルモニ。
この麻雀では毎度、手牌の数がひとによってまちまちになってしまうのでした!
それでもなぜか勝負は成立し、
勝った人のところに点数棒が動きます。
ちなみにお金をかけているのではないそう。
お金が動くかわりに、敗者は「しっぺ」をされるそうです。
しっぺをお見舞いする際のハルモニたちの動きの、90歳とは思えない鷹のような素早さ。麻雀に負けた人が油断してぽーっとしているとき、しゅっと近づき、「ばしっ」とやってのけるそうな。
長生きしてくださった、在日のハルモニたち。働きたおした半生だったのではないでしょうか。はちゃめちゃ麻雀が今日も続いていますように。
(とあるデイサービスのハルモニたち)
← アフター →
食事のときは、片手で箸とスプーンを同時に持って食べるという器用なことをしていた。
とても、真似できません・・・。
韓国食品はスーパーで流通しているものよりも、うちで作ったのが一番!なハルベ。
(ハンビョルさんのハルベ、ハンメ)
日本語も韓国語も方言しか話せないけど、韓国語の方言を使っているときはなぜか日本語の時と空気が違う。
あれって、元の料理はなんだったんだろう?と気になる。
もしや、釜山でよく食べられているプルコギごはん?
(ハンビョルさんのじいちゃん)
おなか空いてきます…
アメリカンとトースト一枚を必ず頼むのだが何度正しても「トースター、一つ」と頼んでしまう。
(京都・やんぐさんの二世のハンメ)
引き続き、どんどん集めていきます
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