韓国や世界につながる仕事に

在日学生就活インタビュー
2010年3月11日

就職先は大手旅行会社。文系。女性。韓国籍。在日3世。

韓国留学を強く生かした就職活動。就活期間は2008年秋~2009年6月。 大手メーカーを中心に狙っていたが、結果的には旅行会社に内定を得て就職。

名前は、母が韓国系民族学校の教師だったので、姓だけでなく下の名前も韓国語らしい響きがきれいな民族名(本人の言葉では「韓国名」)。 別に通名もないし、大好きな名前なので就職活動も当然この名前で。

「不利になるとは思ってなかった?」と聞くと、「ああ全然思ってなかったです。」実際就活していても不利になると思ったことはない。

留学したので、大学に半年長く在学して就活。

簡単な紹介

関西出身。有名私大。留学以前の大学生活の中心は子どものころから続けてきたバレエ。 プロは断念していたけど、大学受験でずっとできなかった分を、大学で思いっきり熱中した。 バレエ留学もしたし、韓国の留学先でも大学の芸術科の先生に頼み込んでレッスンに入れてもらったほど。

高校の頃から人の心の姿や心の病理に関心があって、大学の学部は違ったけど心理学を職業として追究したい思いはあった。でも迷っていたときに、留学のことが出て来て、心をそちらに決めた。

韓国留学では、現地の企業インターンや、幼稚園で教えるアルバイトにもチャレンジ。韓国語は今でもわからない言葉があるけど、それを知っていく楽しさが逆に大好きだそう。

企業との対話では、韓国留学体験や留学を決心してから韓国語を学び続けた努力のことをアピール。 志望の大手メーカーはよく最終手前で落ちてしまった。 旅行会社から内定を得たとき、そこは、最初はわりとノーマークの企業だったが、そこで働くことをじっくり考えてみて、やりがいを感じたのでそこに決めた。 一応、インタビューの時点では日本であと1社、夏休みの韓国滞在のついでに(なかば記念受験という感じで)韓国の企業を1社受験する計画も考慮中とのことだった。

自分の性格から、最初は独力で全部やろうとしていたけど、それではエントリーシートが落とされるとわかってから、大学の就職部に毎日通った。 そこでのエントリーシートの猛勉強など、目立たない部分でかなり努力した。

国際的な舞台での仕事を目指して、留学体験の延長上にある生き方や行動力をアピール。

【活動期間】2008年10月~2009年6月
【就職先】大手旅行会社

就活を始める前

-就活をやる前の予想、展望は?

たぶん語学の面では、韓国語ってしゃべれる人がなかなかいないってことに関しては有利かなって。 あと留学経験とかも外資系とかメーカー系とかではプラスポイントに見てくれるって聞いてたんで、そうですね、あんまり苦労するとは思ってませんでした。 不況だからって、そんなことないだろうと思ってました。

-実際やってみたらどうだった?

やってみたらもう、「ああ、こんなにも大変だったんだーっ」と。

実際、(留学したので)私一個遅れで、おない年の子はもう今就職してて、その子たちの就活の話はみんな「楽勝ー」とか言ってたぐらいなので。

でも、全然、面接とかになったら、やっぱり自分がもっと研究してなきゃいけなかったのにできてなかったとか、OB訪問でプラスマイナスがつけられてるんだっていうのも後から気づいたし。

ほんとに、今年は楽勝じゃないなあっていうのは感じました。

最初は楽観していたのだが、エントリーシートの結果が出るころになって、その通らなさに焦らされた。そこから大学の支援センターに通って猛勉強。

就職活動の全体像

主に電機メーカーの大企業を志望

第一志望は大手の電機メーカー。ほかにも商社など大きいところを狙った。

面接に行った企業はソニー、三菱電機、伊藤忠などなど。エントリーシートは50社ぐらい出したのに、通ってくれたのが20社ぐらいしかなかった。

そうやって就職活動の手ごわさに気づいたのは、もう既に内定を得た人も出ている春頃だった。その時点から、残ったところを受けまくった。

内定をもらった旅行会社は、たまたま選考が遅くて、じっくり受けられたところ。

大企業はいろいろ広く受けたが、銀行・保険・証券などのお金を扱う仕事には少し偏見をもっていたので、母親から受けといたら?と言われたけど全然受けなかった。

そのへんの業界は決まるのが早いので、4月頃には既に内定をもらった人がまわりにけっこういて焦った。 でも、2009年は厳しい年で、4月頃に大学に聞いてみたらその時点で内定が決まった人はまだ2割だったそう。

フタを開けたら、エントリーシートが落ちまくっていて・・・

面接に行き始めたのは4月からで、その前にもっと受けとけばよかったなと今更後悔してました。 本当に全然足りなかった!って4月に思いました。 フタをあけたときに受かってる企業が少なかったことに対してすごい焦ったんで、4月にとにかく残ってる会社受けようと思っていっぱいエントリーシート出したの覚えてます。

それから、大学のキャリア支援センターに通い詰める。その後、以前の自分のエントリーシートの書き方を振り返ると落とされていた理由がわかった。

私が4月以降に出したエントリーシートは、ほとんどうかったんですけど、3月に出したエントリーシートは研究不足だったことと自己分析が全然できてなくて、 文章がほんと良くなかったっていうのは後から読み返したらわかりました。それが落ちた理由なのかなって。

キャリア支援センターに毎日通う

キャリア支援センターで、今の書き方の何が悪いのか、何が求められているのかを必死に学ぶ。 「あそこがなかったら、私たぶん今ここにいないんじゃないかと思います」というぐらいに、面接のやり方のときも、大活用した。

就活で悩んだのは、まず最初に悩んだのが、なぜエントリーシートが通らないのかっていう点に悩んで、「ああまずはここを直していかないといけないなー」って。

ずっとそれまで、まわりの友達が卒業しちゃってたんで、まわりに友達がいなかったことと、独自的に自分で頑張ればできると思っていたタイプだったので、まわりに何も相談しなかったんですね。面接のしかたも。

でも、このままじゃ自分で何をしても、たぶんもう見えないから、じゃ、もう人に聞くしかないなと思い始めてから、 大学のキャリアセンターの人に毎日訪問して、毎日エントリーシートを添削してもらって、何が悪いのかを聞いたりして、やっとまともなエントリーシートが書けるようになったことで、 そうですね、4月から出したエントリーシートはほとんど通ったんですけど。

そのあと、面接がなぜ通らないのか、についてまた自問自答し始めて(笑)、それもキャリアセンターの人に聞きにいきましたね。どういう例があって、何を求めてるのか。

それで、私の場合、たぶん自分の意見ははっきりしてるから、あとは企業研究だよって言われて、 たぶん志望動機が弱いから落とされてるんじゃないかなって言われてから、志望動機を考えるためにもうほんとにずーっと企業ホームページを見るなり、新聞をあさりましたね。

で、それをやったおかげで、二次(面接)まではいけるようになったんですけど、最後の一歩がどうしてもあれでしたね。 それはたぶん、自分と企業とのマッチングがだめだったんだなあと思うようにしてました。

民族名で就活。不利になるという発想はなくて。

姓も名前も韓国語の読み方で読んでいる民族名しか名前がないので、民族名で就活。差別があるという考え方自体が自分にはなかった。

企業に対しては、韓国留学の理由として、「韓国人」であることを告げていた。 自己PRややりたい仕事の話でもいつも韓国留学の話をするので、 「自分がもともと韓国人であって、自分のルーツをもっと知るためには、韓国語を勉強することと韓国に行くことだが大事だと思っていた」ことをいつも話した。

やりたい仕事の話では、子どものときから人の役に立つのが大好きなので、 お客さんの近くで関われる仕事、そして語学が活かせる仕事、韓国に留学してた自分だからこそわける日本文化(製品など)の良さを伝える仕事をしたいと説明。

多くの企業で上の面接まで上がって、ときには「企業研究も申し分ないし、すごく熱意が伝わったよ」と言われたこともある。

ちなみにキャリア支援センターの人に在日であることを相談する気は全然なかったのに、逆にセンターの人から、そういうことを心配していないかどうか聞かれてこっちが驚いたそう。 「全然心配してないです」と応えた。

在日であると告げても、だいたいはそれ以上つっこんでこないが、 中にはこちらが「え?」と焦ることを言われた企業もあったし、より詳しく聞いてくれたことが嬉しかった企業もあった。

※在日であることを話したときの、企業からの反応については→【面接で話したこととその考え】
当初は志望していなかったけど、受かった旅行会社に向き合ってみて。
4月・5月には終わってるだろうという気持ちでいたのに、就活が長引き、授業にも出ながら、企業をまわる日々が続いた。

とにかくGWまでには1社くらいはもらいたい、それじゃないと絶対苦しくなるなってわかってたんですけど、なかなか決まりませんでしたね。

当初強く志望していた電機メーカー業界では最終の一歩手前(2次面接など)で落ちることが多かった。 さらに上にあがった企業もあったけど、決まるまではいかなかった。

結果的に、あまり志望してはいなかったけれど1社だけ受けていた旅行会社で内定をもらった。それが6月頃。

そこに向き合ってみると、そこの社風が自分に合っていて、仕事にもわくわくするようなやりがいを感じられたので、就職活動を一応一段落。

この会社では、もちろん韓国がすごく好きだからこそ、韓国についての企画とかプランをつくれたらいいなと思ったり、 韓国語を活かせたらいいなというのはあるけれど、韓国に関わることに限らず、それがすべての世界につながる仕事だったらいいなと考えている。

職種は総合職。おそらく、だいたい最初は窓口支店に配属されて旅行のコンダクター・プランナーをする。 早い人であれば2・3年で支店長になって、そこから上にあがるとなると海外支店に移るか、もしくは本社に戻って企画・人事部・総務部に入るかもしれない。

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